大阪高等裁判所 平成元年(う)422号 判決 1989年11月24日
本籍
京都市西京区山田出口町一七番地
住居
右同所
電気器具販売業
澤田圭司
昭和一七年三月一三日生
本籍
京都市西京区山田出口町一七番地
住居
右同所
電気器具販売業手伝い
澤田昭子
昭和一六年八月一五日生
右両名に対する各相続税法違反被告事件について、平成元年二月二八日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 谷本和雄 出席
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人横清貴、同淺野省三連名作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官谷本和雄作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は要するに、原裁判所が、弁護人において被告人両名と本件の共犯者らとの共謀の日時、場所及びその内容について釈明を求めたにかかわらず、検察官に対しその日時、場所について釈明させたのみで、その内容についての釈明をさせないまま審理を進行させたのは、適正な訴訟指揮権の行使を怠り被告人らの防禦権を侵害したものであり、右は裁判に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反にあたる、というのである。
所論及び答弁にかんがみ記録を調査して検討するに、原裁判所が、本件の審理を進めるに際し、本件共犯者らとの共謀の日時、場所について検察官に釈明させただけで、その内容について釈明させなかったことは所論のとおりであるが、起訴状並びに冒頭陳述書及び原判決が事実認定の補足説明の中で説示するところによれば、本件は、すでに税務対策と称して脱税手続を代行するなどしていた、いわゆる同和関係者である長谷部ら共犯者と、これらの者を通じて脱税したことのある小原靖弘(以下小原という)において、被告人圭司を右の長谷部に紹介したことによって、それらの者と同被告人及びその妻である被告人昭子らが冒頭陳述書記載のような経緯によって共謀し脱税したという事案であるが、その脱税については申告依頼時に不正の行為の認識があれば足りるものであることを考えると、原裁判所においてその共謀の内容を釈明させなかったからといって、その内容は何らかの不正の手段方法をもって内容虚偽の税の申告をするものであることの意思を相通じていることであることは釈明を待つまでもなく明らかであるから、所論のように必ずしもそのことを認めるべき個々の事実関係までいちいち釈明を命じなければならないものではない。
一方、本件では被告人両名において、検察官が釈明した日時、場所における共謀の成否更にはその共謀を認めるべき個々の事実関係について争い充分防禦をつくしていることにかんがみると、裁判所において所論の共謀内容について釈明を命じなかったからといって、被告人らの防禦権を侵害したと認めるべき事跡はなく、そのこと自体に違法視されるところはない。すなわち本件の審理経過をみると、被告人両名においてその申告納税に至る経緯の中にはそのすべての点について予期するものではなかったにせよ、結局は架空債務を計上した遺産分割協議書に署名し、被告人圭司においてその相続税の申告書に署名押印し、共犯者長谷部と共に税務署に赴き申告をなし、また被告人昭子においても、後記認定のとおり被告人圭司から本件の共犯者である長谷部らいわゆる同和関係者を通じて申告すれば税金が安くなる旨の事情を聞かされて、そのことを了承したうえ前記遺産分割書に署名するなどして被告人圭司をしてその申告を依頼したものであることのその経緯の中で、同被告人においても本件の脱税に関しその犯意を含め共謀の時期や内容等について、その関係証拠を検討し、各被告人らと打合せをするなどしてその防禦権を行使していることが明らかであり、いずれの見地からしても裁判所の釈明義務違反は認められず所論は採用できない。論旨は理由がない。
控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は要するに、原判決は、本件について被告人両名ともほ脱の故意を有していた旨認定したが、被告人らは適法な節税手続をとってくれるものと思っていたものであって、不正手段で脱税を行うという認識はなく、また被告人両名に対する共謀に関する原審の判断特に被告人昭子についての共謀の時期及び内容についての認定には、とうてい共謀と評価しえない事実をとらえて共謀と認定した誤りがあり、原判決には、これらの点において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
所論にかんがみ記録を調査して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人らの犯意及び共謀の点を含めて原判示各事実は優にこれを肯認することができ、また被告人両名の共謀の時期、内容に関し、原判決が「事実認定の補足説明」と題する部分で説示するところも正当として是認することができる。
所論は右証拠中、被告人両名の犯意及び共謀特に被告人昭子の共謀の時期、内容に関する被告人両名の質問てん末書を含む各共述調書の信用性をるる争うが、これら供述調書の内容は、他の証拠によって認められる客観的な事実関係と符合する部分を含むものであって、原判決が補足説明の中で詳細説示するとおり、いずれも信用できるものであること明らかであり、原判決が関係証拠とこれら被告人らの供述調書を総合して、被告人昭子を含め被告人両名の犯意及び共謀の事実を認定したことには何らの瑕庇もない。
すなわち、これらの供述調書を除いた関係証拠を総合すると、原判決が右補足説明の中で説示するとおり、本件の相続が始まり、被告人圭司が妻である被告人昭子の妹婿で税務関係の仕事をしていたことのある林政男に相続税額を計算してもらい、その額の説明を受けるまでの経緯、その後被告人圭司が小原方にアンテナ撤去に行った際、同人から自己の相続税に関し処理手続したことの概略や若し必要があれば長谷部を紹介してやる旨及びそれは納税者において正当税額の五〇パーセント位を同和会に払えば済むものであることなどの説明を受けたこと、そして小原は被告人圭司から頼まれて同人とともに原判示全日本同和会の事務所へ行き、同会事務局長長谷部を紹介した結果、被告人圭司において、右長谷部ら同和関係者に相続税の申告手続を依頼したこと、その後被告人両名は架空債務の記載された手書きの遺産分割協議書に署名するなどしたうえ、昭和五七年七月三日被告人圭司において長谷部と共に右京税務署へ行き、原判示のとおり相続税の過少申告をしたこと、その際小原の指示で用意した五五〇〇万円の小切手や現金のうち、税務署の納付書、領収証書分合計金額すなわち相続税分一〇五二万四〇〇円を支払い、残りの小切手と現金は長谷部が持ち去ったこと、被告人らはその後小原に対し謝礼として現金五〇万円とビールを渡したが、長谷部らの方へは別に謝礼を渡していないこと等の事実関係が認められる。これに対し、被告人圭司は原審公判廷で、「最初小原から、利口にやってくれるところがあると云って長谷部を紹介されたが、そのときは同和の名前は出なかった」とか、「自分の知っている計理士がおり、そこへ行くと公に扱えない制度だが正規の半額くらいになると聞いただけである」などと、また同昭子は、原審公判廷において、「圭司が小原からいい税理士を紹介すると云われたと圭司から聞いただけで、それ以上のことは聞いていない」などとそれぞれ所論に沿う供述をしているが、被告人圭司が小原から聞かされていたのは全日本同和会を通じて行う申告手続のことであり、小原に紹介されたのも同会の事務所であって、しかも計理士でも税理士でもない長谷部になんらためらうことなく申告手続を依頼していることや、長谷部らに対しては何ら謝礼を渡していないことなどに徴すれば、被告人両名の前示公判供述は措信できない。そして前記認定の一連の事実経緯に照らすと、被告人圭司は小原から、前示のとおり正規の税額の半額位を同和会に払えば済むと聞き、同和会の長谷部を紹介してもらってその申告依頼をしたことが明らかである。そのことは、原審の第二二回公判調査書中に、被告人圭司が検察官から「公に使えない制度というのをどういうふうに理解したのか」と問われたのに対し、「同和対策の税法上の優遇処置を適用してもらえるのかなと思った」と述べる部分があることからも裏付けられ、そして被告人圭司が被告人昭子の婿養子であることや相続関係者が被告人昭子の親族であることを考えると、前記のように被告人圭司が長谷部らに相続税の申告手続を頼むに際しては、妻である被告人昭子との間でそのことについて何らかの話をしたうえ互に了解してしたものと推認でき、その時点で被告人圭司と同昭子間において本件脱税についての共謀があったことも明らかに認められ、また被告人両名にその際不正の方法によるほ脱の認識すなわち犯意が生じたことも明らかであるといわなければならない。
してみると被告人両名の犯意及び共謀に関する原判決の判断は是認でき、またその他の所論にかんがみ更に検討しても原判決に所論のいう事実誤認は認められず、論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 石井一正 裁判官 浦上文男)
控訴趣旨書
目次
第一、訴訟手続の法令違反
Ⅰ~Ⅲ
第二、事実誤認
一、原判決の判断
Ⅰ~Ⅲ
二、弁護人の主張
Ⅰ 総論
Ⅱ 被告人両名の無罪について
A 被告人の行動の評価について
B 原判決の被告人調書の評価について
1.昭子の質問顛末書に関する原判決批判
イ、総論
ロ、六月一一日質問顛末書について
a~f
ハ、六月一二日質問顛末書について
a~e
2.圭司の質問顛末書に関する原判決批判
イ~ヘ
3.被告人両名の検面調書について
イ~ニ
C 個別的争点について
1.総論
2.昭子調書の誘導側
イ~ニ
3.圭司供述の誘導側について
イ~ロ
4.中川工務店問題
イ~チ
5.昭子が金五五〇〇万円を全部税金と考えていた点について
イ~ト
6.圭司の六月一五日付、同二三日付検面調書の問題点
イ~ホ
7.昭子調書の用語例について
イ~ハ
Ⅲ 被告人共名の共謀認定時期を事実誤認
A~E
Ⅳ 昭子についての考察
第三、法令の適用の誤り
第四、結論
○控訴趣旨書
被告人 澤田圭司
同 澤田昭子
右両名に対する相続税法違反被告事件についての控訴の趣旨は左記の通りである。
平成元年六月一二日
右弁護人 横清貴
同 淺野省三
大阪高等裁判所 第三刑事部 御中
記
第一、訴訟手続の法令違反
原判決には明らかに判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反があるので、その破棄を求める。
Ⅰ 原審において弁護人は、被告人両名と他の事件関係者(小原、長谷部等)との本件公訴事実に関する共謀日時、場所、共謀内容について釈明を求めた。
ところが検察官は、共謀の日時、場所については釈明に応じるも、共謀内容については釈明に応じなかった。
そのため弁護人は再度共謀内容について釈明を求めたところ、原審裁判所は釈明の要なしと判断し、検察官に釈明に応じるよう訴訟指揮を行わず、訴訟手続を進行させた。
Ⅱ 本件犯行における被告人両名の関与形態については、すでに原審において弁護人が主張し、原判決も認めているように、実質的、客観的実行行為について、小原、長谷部等がそのほとんどを行い、被告人両名の関与はきわめて受動的なものと考えられる。
被告人澤田圭司(以下圭司と言う)は長谷部達に指示されるままに必要書類を運び、言われるままに中身も検討せず手書の遺産分割協議書(以下手書の協議書と言う)及び相続税の申告書に署名、押印し、言われるままに現金と小切手を準備した上で、長谷部の指示に従って納付したにすぎない。
又被告人澤田昭子(以下昭子と言う)に至っては、単に手書の協議書の署名したのみであり、申告書については見た事もなく、自己の相続税について具体的な申告及び納付金額も知らなかった。
Ⅲ したがって、本件において、被告人両名について罪責を追及するとなれば必然的に長谷部、小原と被告人両名の共謀の時期、内容が当然重要な争点となるものである。
しかも、検察官の冒頭陳述の内容からすると、亡澤田幸太郎(以下亡幸太郎と言う)の死亡時である昭和五七年一月五日より申告時である同年七月三日までの間の圭司及び昭子のさまざまの行動が本件公訴事実の認定に関係するものであることより、弁護人としては被告人のために、右の各種行為について、いちいち反撃防御を繰り返さざるを得なくなり、過大な負担を受ける事になった、本件のごとき事件における共謀共同正犯の成立過程は、必然的に共犯関係の実態が、共謀内容を含めて、時系列に従って、順次発展していく。したがってその出発点である共謀共同正犯における「共謀」がいつどのような行為をもって成立したかを明らかにする事は、弁護人の防御権の行使にとってきわめて重要な事である。
Ⅳ しかるに原審は、右弁護人に再求釈明について釈明の必要なしとした上で、原判決において、被告人両名の共謀について『被告人昭子が夫圭司により「相続税は、たくさん取られるが、いい経理士さんを知ってるから紹介してあげようか。その人なら利口に計算してもらえる」などと聞いて税金が半分位になる旨話され、相談の上圭司を通じて申告の依頼をすることにしたとき、共謀があったものと認められる』と認定している。
Ⅴ 右のごとき昭子と圭司との相談をもって、昭子について相続税法違反の共謀共同正犯の「共謀内容」と評価しえるかについては、後述のごとく当然、問題となるが、少なくとも右程度の被告人両名の相談が本当に検察官の主張する「共謀」の内容であるか否かについて明らかにした上で、審理を続けるべきであった。
弁護人としては証拠上から見て、果たして検察官が本当に右程度の被告人両名の相談をもって「共謀」と主張していたのか疑問に思う。弁護人としては、仮に検察官主張を前提としても、被告人両名の共謀成立時期は原審認定の時期よりも、もう少し後の時期となるのではないかと考えていた。そして、この場合、証拠関係から見て、被告人両名のどのような行為をもって共謀の成立と考えられるのか明らかでないため、釈明を通じて、共謀関係の成立時期内容等を明らかにすべきと考えていたものである。
少なくとも原審は、右共謀内容について争点化しているのであるから、その点を明確にした上で、訴訟手続を進行すべき義務(釈明義務)は当然存したのであり、その事によって、原審における各当事者間の訴訟活動はその力点に変化が生ずるであろうことは十分予想された。
原審における当事者間の具体的争点は、右被告人両名が昭和五七年四月初めころ相談して小原を通じて申告を依頼したかなり後に作られた昭子の相続等に関するノートの記載の趣旨、手書の協議書の中身を被告人両名が見た上で署名押印したか否か、小原が指示した金五五〇〇万円について被告人両名が全部税金だと思っていたか、あるいは相続税の納付書についての被告人両名の理解等に移っており、被告人両名の前記相談はほとんど争点化していなかった。
したがって、検察官主張の共謀内容が明確化すれば、それがおのずと争点化するものであり、当然共謀の成立時期についての認定に影響を及ぼすような、当事者間の訴訟活動が行われたであろうことは明らかである。又その事によって前記のごとききわめて非常識ともいえる被告人両名の共謀時期、共謀内容の認定は有りえなかったことも明らかである。
Ⅵ 原審が、弁護人の検察官主張の共謀の内容についての再求釈明について、釈明の要なしとした手続は、裁判所の適正な訴訟指揮権の行使を怠ったものであり、訴訟手続の法令違反であり、右違反が前述のごとく原判決に影響を及ぼすことは明らかである。(刑事訴訟法第三七九条)
第二、原判決には明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認が存するので、その破棄を求める。
一、原判決の判断
Ⅰ 原判決は、弁護人が「本件各事実の客観的事実については争わず、被告人両名の主観的側面すなわち故意の内、所得の存在についてはこれを認めるものの、不正の行為を相続税申告に当たり有していたとの認識、及びほ脱結果発生についての認識がなかったと主張し、ひいては共謀の事実を争い、被告人両名の大蔵事務官に対する、各質問顛末書及び検察官に対する各供述調書は誘導や教え込みなどによって作成されたもので、信用することができない」と主張していると理解した上で以下の事実認定を行った。
Ⅱ 圭司は、「小原から税理士を紹介してやると言われ、その際に『そこに行ったら(相続税が)安くなる公に使えない制度だけ(ど)、年に数回しか使えんけど安くなる。正規の税額の半分位でできる』」と言われ、その後、小原の紹介を受けることとし、長谷部に相続税の申告を依頼したときに共謀が成立している。
なお、圭司の当初の認識は架空債務の計上といったような具体的方法までは知らない何らかの不正方法により税額を半額程度にするとの不正の認識であり手書の遺産分割協議書を見ることによって、架空債務の計上によって脱税することの具体的認識が生じたものであり、脱税額については林から聞いて、母を含めて相続人全員にかかる金額が約七〇〇〇万円である旨認識を有していたところ、申告書に押印した時及び税務署の税金を納付した際に支払った税金が一、〇五二万〇、四〇〇円であることを認識し、その間の金額を脱税している旨を具体的に認識したものであるが、個人の脱税額がいくらであったかは知らないものと認められる」と認定している。
又昭子については「同人が、夫圭司より小原が『相続税は、たくさん取られるが、いい経理士さんを知っているから紹介してあげようか、その人なら利口に計算してもらえる。」などと聞いて来、税金が正規の半分位になる旨話され相談の上圭司を通じて、申告の依頼をすることにしたときに共謀があったと認められる。昭子の当初の認識としては、圭司よりも漠然とした不正の認識であり、手書の遺産分割協議書を見ることによって架空債務の計上によって脱税する方法を具体的に認識したもので、脱税額については、圭司と同様、金員で七、〇〇〇万円である旨の認識を有していたところ、圭司より納付書、領収証書を見せられ、その説明を聞いて一、〇五二万〇、四〇〇円しか納税していないことを具体的に認識し、その間の金額を脱税している旨、具体的に認識したものの、それを放置したまま法定の納付期限を徒過させたものであるが、自己の脱税額がいくらであったかまでは知らなかったものと認められる。」と認定した。
Ⅲ そして右認定の理由として、被告人両名の質問顛末書の供述が他の証拠から認められる周辺事実と合致しており、しかも詳細であるとか、被告人らでないと分からないことを供述しているとか、供述内容から見て信用性が高いものがあるとか、の理由をあげた上でいずれも任意になされたものであり、信用性も高いと評価し、これらの調書をふまえて作成された被告人両名の供述調書も、周辺事実にそうものであり、具体的であり、押しつけられたものでなく信用しうると評価している。
そしてその上で、昭子が有限会社同和産業の架空債務を計上するという方法で脱税をはかった事実の認識経過の供述の変遷、圭司が三月末日が四月初めころ、小原から聞いた内容についての圭司調書の変遷、中川工務店のマンション建設に関する松本証言の評価、昭子のノートの記載と小原から伝えられた金五五〇〇万円の金員の性質に関する被告人両名の認識、小原への金五〇万円の謝礼の趣旨、圭司が七月二日に長谷部より申告内容を聞いたとするとその後の圭司の行動についての不自然さ、昭子調書の専門用語の使用等について、弁護人が個別的、且つ詳細に論じた問題点については、弁護人の主張をことごとく採用しなかった。
二、弁護人の主張
Ⅰ 総論
弁護人は前記原審の認定については、一方において原審における各被告人の供述調書の信用性の判断を誤り、その事によって被告人両名に本件について、ほ脱の故意を認定した点で事実誤認であると主張し、他方において仮に前記各被告人調書が一応信用できるものであることを前提としても、被告人両名の共謀の時期及び内容に関する原審の判断(特に昭子について)は、講学上の共謀共同正犯の存在を前提としても、とても「共謀」と評価しきれるようなものではなく、右共謀の認定は明らかに事実誤認であると主張する。
Ⅱ 被告人両名の無罪について
A 被告人両名の行動の評価
すでに原審において、弁護人は被告人両名は小原、長谷部に対して、正当な税務申告(当然控除等を行うことによる適正な節税は期待しているか)の手続の代行を依頼し、手書の遺産分割協議書に関しては、小原等から内容について説明をうけることなく、小原、長谷部の指示に従って右書類に被告人両名が署名し、小原の指示で金五五〇〇万円を現金と小切手に分けて用意し、圭司は、七月二日に長谷部より母のぶは無税だという程度の説明をうけただけで、被告人両名の申告書を作成し、昭和五七年七月三日に長谷部の指示により金一〇五二万〇四〇〇円を納付し、被告人両名は残余の四四〇〇万円については、小原か長谷部より後に納付しているものと理解していたと主張した。
原審における各証拠を客観的、且つ公平に検討し、検察官の論告及び弁護人の弁論に予断と偏見をもたずに耳を傾ければ当然被告人は無罪となるものと確信する。
弁護人は原審において弁論要旨で主張している被告人両名調書の信用性の欠如及び被告人両名の無罪である理由を再度、本控訴趣旨書で主張するものである。
ただ弁論要旨の内容を再度主張するのは繰り返しとなるため、原判決の認定した事項について反論する形式で論じる。
B 原判決の被告人調書の評価について
1.昭子の質問顛末書に関する原判決への批判
イ、総論
原審は昭子の質問顛末書について、当初より不正な税務申告である旨を認めている点が特徴的であり、他の周辺事実と時間的に合致しているとした上で、昭和六〇年六月一一日付の質問顛末書については、詳細な供述があり、それが前記の周辺事実と合致しているし、同人の同月一二日付の質問顛末書については、被告人らでないと分からないことを供述しているのであり、その供述は任意にされたものと言えると評価している。
ロ、六月一一日の質問顛末書について
a、被告人の六月一一日の質問顛末書を見ると、ほ脱の故意に関連する供述(したがって自供を評価しうる供述)部分は、
「しかし主人が私に持ち帰った相続税の領収書は一〇〇〇万円程度であり、主人も私も当初、五五〇〇万円が税金になるのかと思っていたのですが、実際には領収証にある一〇〇〇万円程度しかないことが分かり、五五〇〇万円と税金の一〇〇〇万円程度との差額は、結局長谷部さんなどの手数料になっているものと思います。
このように、主人から小原さんにお願いし、長谷部さんに頼んだ結果、私共の相続税は実際は小原さんの言われる約七〇〇〇万円を五五〇〇万円に安くしてもらい、更に税務署で実際に納付したのは領収証があるとおり、一〇〇〇万円程度ですから、七〇〇〇万円と一〇〇〇万円との差額の六〇〇〇万円の税金を過少に申告していることはよく分かっております。
私共は、当初小原さんにお願いした頃には、税金をごまかすつもりはなかったのですが、話を進めてもらって、六月末頃に私宅に姉妹全員に集まってもらい相続税の申告に必要である遺産分割協議書に署名し、押印をしてもらう際に、小原さんと母の弟の小西喜三さんにも同席してもらいましたのですが、小原さんは、
「相続税は、同和産業から一億七〇〇〇万円くらいを架空に借入れして、安くなるようにしている。」
と言われたと思います。
私共は、固定資産税など税金はどんどん高くなるので、相続の税金も納める方を安くなるようにしてほしいと願っていたことですから、税務署に提出される分割協議書を見て、同和産業からの架空の借入金がありこれが長谷部さんの関係であることも知って、私は非常に不安でしたが、税金は安い方がよいので、小原さんの言われるとおり皆、ごまかしに応じたものです。
申し訳ありません。深く反省しております。」
の部分のみであり、他は何ら本件公訴事実を認める供述ではない。
右自供部分とは要約すると
<1> 金五五〇〇万円が税金だと思っていたが、領収証を見て、税金が一〇〇〇万、残りは長谷部等への手数料とわかった。
<2> それで七〇〇〇万と一〇〇〇万の差の六〇〇〇万過少申告とわかった。
<3> 手書の遺産分割協議書に署名するときに、小原から同和産業から架空借り入れをして安くしていると言われた。
<4> それで不安だったが小原の言うとおりごまかした。
と言う事になる。
b、ところで原審において、弁護人は検察官に本件における実行行為の内容及び実行行為の終了時について釈明を求めたところ、検察官は、実行行為は公訴事実記載の通りであり、他には存しないとし、実行行為終了時は申告書提出終了時と釈明に応じた。
したがって右検察官の釈明を前提にすれば、仮に昭子が前記<1>、<2>の認識をなした事を前提としても、右は実行行為の終了時に昭子が認識した事になり、右認識を昭子が有するといたったからといって、右認識は本件ほ脱の故意とは無関係であり、右認識を有していたとして、犯罪行為として責任を問われる筋合のものではない。
(もっとも弁護人は、昭子の認識は、金四四〇〇万円も後に小原なり長谷部が納めてくれたと思っていたと主張するものであるが)
したがって前記<1>、<2>は、法的な評価で言えば原判決が言うような「不正な税務申告である旨を認める」供述とは言えない。
c、前記<3>の小原より手書の遺産分割協議書の作成時に同和産業の架空債務の計上という脱税方法を聞いたと言う供述については、右のみを見れば原判決が言うように「不正な税務申告を認めた」旨の評価をなしえるかもしれないが、すでに弁論要旨で詳論し(弁論要旨第三・六、2、イ)後述の第二、二、Ⅱ、c、2で論じているように、右供述は以後、「小原から聞いた」→「圭司から聞いた」→「手書の協議書を見て中川工務店の話を思い出し、脱税の方法がわかった」と全く不合理な変遷を何度もとげる、きわめて特異な供述の、しかも、最初の供述であり、全く自供として信用しえるようなものではない。
したがって、右<3><4>供述はとても原判決が言うような「不正な税務申告である旨を認めている点で特徴的な供述」として、昭子が本件犯罪事実を当初より認めていたと評価しえるような代物ではない。
d、ところで前記<1>ないし<4>の供述については、取調官の押しつけで作出しうる内容であることは明らかであり、秘密の暴露と言えるものではない。
まず同和産業の架空債務の計上による脱税の手口については、全日本同和会の脱税事件を捜査している取調官にはわかっていた事であり、又すでに提出されている申告書を見れば、同和産業の架空債務の計上、及び被告人両名申告金額が一〇〇〇万円である事がわかり、又右架空債務の計上分を差し引けば、正規の税額が約七〇〇〇万円程度であることは取調官にはわかっていた事である。
したがって取調官が昭子を追及すれば、昭子は「金五五〇〇万円を納税したはず」と反論したであろう。
もし昭子が右のごとき反論をすれば取調官は申告書を見せ、正規の税額を説明し、理詰で追及することは可能であり、これまでの弁護人の主張で明らかなとおり、昭子が自己の認識とは異なっても、取調官に迎合して、前記<1><2><3>のごとき供述をする事は容易に想像しうる。したがって、右<1>ないし<4>をもって、当初の取調時より、昭子が任意に自供したと評価するのは妥当ではない。右調書ですら、取調官は<1>ないし<4>の供述を押しつけうるのであり、原判決が当初より「不正な税務申告である旨を認めている点が特徴的」という評価はきわめて一面的表面的評価と言わざるをえない。
e、又原審において、弁護人が主張しているように本件において、被告人両名の罪責の追及に関して必要なのは、各種の一連の関係者の行動について、被告人両名がどのように認識をしていたことが重要なのであり、その認識いかんではほ脱の故意の認定が可能となるのである。したがって、そのよう基本的な故意に関する供述に、不自然な変遷やきわめて不自然な供述があり、しかもそれが取調官の押しつけや誘導として問題となっているのであり、それ以外の周辺事実について供述が一致しているからと言って、右のごときほ脱の故意に関する供述に問題がある各供述調書について、そのほ脱の故意に関する部分までも当然信用できると評価するのは、明らかに一面的、平面的な理解であり妥当でない。
f、したがって、六月一一日付の昭子の質問顛末書について詳細な供述であり、その事実が周辺事実と合致するから信用できるとの原審の評価は妥当でない。右調書はもっとも重要なほ脱の故意に関する供述が取調官の押しつけによるものであり、まったく信用できない。
ハ、六月一二日付質問顛末書について
a、原判決は「当初小原に依頼した頃は、税金をごまかすつもりはなかったことなどの弁解もしており、記憶にないことはないと言っている」と評価し、被告人らでないと分からないことを供述しており、詳細な供述でその事実が周辺事実と合致しているとして、その供述は任意になされたものであり、押しつけや誘導と思われず信用性は高いと評価している。
b、しかしながらすでに、弁論要旨で主張しているように六月一二日付の質問顛末書は、きわめて不自然な供述や、取調官の押しつけによって六月一一日付の質問顛末書の供述がきわめて不自然に変更された供述が多数存在し、しかしそれらの問題供述が、本件における昭子のほ脱の故意の認定をより容易にする方向においてのみなされているのであり、とても任意にされたものとは評価しきれない。
c、きわめて不自然な供述変遷の具体例
<1> 有限会社同和産業の架空債務の計上と言う方法で脱税した事を昭子が知った経緯について
ⅰ 六月末頃に自宅に集まって手書の遺産分割協議書を作成した際に、
「小原さんは
『相続税は、同和産業から一億七〇〇〇万円位を架空に借り入れて安くなるようにしている』
と言われたと思います」 (六・一一員面)
ⅱ 「昨日は、このことについて、六・三〇に集まって小原さんが言ったと思うと曖昧な答弁をしましたので、よく考えてみましたが小原さんが私共以外の納税に関係ない者にまで不正な工作を言われるはずはありませんので、小原さんが言っていたと申したのは主人から聞いたことに間違いありませんので直してください。」
(六月一一日一四丁)
しかしながら、ⅰからⅱへの変遷の理由が「ⅰは瞹昧だった(何も瞹昧な供述ではない)が、よく考えてみると小原が皆の前で言うはずがない(これは単なる理屈である)ので主人から聞いたことに間違いない(なぜ間違いないと言えるのか)」ときわめて奇妙な論理展開で供述の変更の理由が語られ、しかも圭司から聞いたとする日時や状況については明確にせずに、圭司から聞いたことは間違いないと判言する不自然な調書である。
この点について原判決は右変更について不自然ではないと評価するが、その理由づけは全く論理性がなく、肯首できないものである。(この点については後述第二、二、Ⅱ、c、2で論ずる)
<2> 金五五〇〇万円の趣旨についての昭子の認識
「昨日も私は、小原さんから六月末日頃に
『相続税は全部で七〇〇〇万円見当になるが、それを五五〇〇万円で済ませるから』
と言われたと答弁しておりますが、小原さんから言われた時期、金額についてはそのとおりですが、
『五五〇〇万円で済ませる』
と申したのは、税金が五五〇〇万円であるのか、税金と長谷部さんなどに支払う謝礼金などを含ませて全部で五五〇〇万円でよいと言われたのか、瞹昧であることについて更に考えてみました。
私は主人から、
『全部で五五〇〇万円で済む』
と聞いていますので、納税する金額は分からないものの、長谷部さん関係の謝礼金と実際に納めるべき税金を併せて全部で五五〇〇万円で済むと考えていたことです」
(六月一二日一五丁から一六丁)
と六月一一日の供述(五丁)の変更が行われている。
そして、その供述変遷の不自然さについて、弁護人は弁論要旨で次のように批判した。
供述変更理由について、「長谷部の言ったのが瞹昧だから更に考えてみた結果」と言うことであるが、六月一一日供述(五丁)は、その文面から見て「相続税を五五〇〇万円で済ませるから」と言う内容であり、きわめて明確な供述であり、何も瞹昧な供述ではない。昭子が金五五〇〇万円が全部税金と明確に認識していたのは、六月一一日員面の五丁裏から六丁にかけて更に「主人も私も当初五五〇〇万円が税金になるのかと思っていた」と明確な供述をしていることからも明らかである。「したがって、瞹昧だからよく考えて見ても」と供述変更が行われるのは不自然である。
しかも、右供述変更の理由について、「よく考えてみた」は供述変更の理由にならない。けだし「よく考えてみたら」という理由が合理的な供述変更理由であれば、どのような供述変更も理由があることになる。又右供述が行われたのは事件後三年以上たってであり、明確に小原が、相続税が五五〇〇万円といっていたとの供述が右のごとき謝礼を含んでいたと変遷するのであれば何か特別な理由があるはずである。しかしながら、右供述変更時には特に供述変更を得心させるような事情はうかがいしれない。
又、昭子の六月一二日付質問顛末書でのノートの記載から明らかなように、昭子は五五〇〇万円について本件犯行時には全部税金と考えていた事から見て、前記供述変更は、取調官に押しつけられて行ったものであることは明らかである。
この点についての弁護人の批判について原判決は明確な反論をしていない。
右供述の変遷がきわめて不自然なものであることは明らかである。
d、不自然な供述例
<1> 昭子六月一二日付調書一六丁
「小原さんから、昭和五七年七月三日の申告及び納税の前日くらい直近になって、小原さんから主人に五五〇〇万円は、五枚の小切手と現金にわけるように言われて、主人は言われたとおりに小切手をわけて作ってもらって行ったと思いますが
『銀行でも何枚もの小切手にわけてもらうのは恰好わるいなぁ』
と言って出掛けました。
その時私は主人から聞いただけですが、一枚一〇〇〇万円くらいの単位で小切手をつくるのであれば、その内実際に税金として納めるのは、一〇〇〇万円か二〇〇〇万円程度にしているのではないのか、後は長谷部さん等に謝礼金にとられてしまうのでないかと直感しました。」
の記載について、右供述も取調官の押しつけであることは明らかである。
けだし、小原らと接触して、申告手続を進めている圭司ですら、「恰好わるいなぁ」としか思わないものについて、すべてを圭司にまかせてしまっているはずの昭子だけが、なぜ小原の電話で小原らの犯行行為を直感し、しかも一千万か二千万が税金であり、他はとられると考えるのか。右昭子の供述はきわめて不自然である。
この点についても、原判決は明確な反論をしなかった。
<2> 昭子六月一二日付添付のノートについて
ⅰ「小原さんの指示により、京都市農協松尾支店の借入金五五〇〇万円をし、昭和五七年七月三日、右京税務署に主人が相続税一〇〇〇万円程度を支払い、残りのお金は、その場で長谷部さんに謝礼金として渡したものです」(前記員面四丁)と調書が作成されている。
しかしながら、右調書が取調官の押しつけによるものであることは歴然としている。
けだし右ノートは、昭子が亡幸太郎の死亡に関連する支出等について詳細に記載したものであり、もし金五五〇〇万円が前記のごとく相続税と謝礼という内訳であることを右ノート作成時に昭子が認識していたのであれば、いずれも右金額がきわめて高額であることから見ても、当然分けて記載するであろう。現に小原に対する謝礼については「五万円と手みやげ」きわめて細かく分類して記載していることから見ても、その点は明らかである。
右ノートの作成状況から見ても、右ノート作成時に金五五〇〇万円について昭子が全部相続税と考えていた事は明らかである。取調官は何とか昭子にほ脱の意思があった事を証明する供述を引き出そうとして、昭子に、右のごとき記憶にもとづかないものが、明らかな、きわめて不自然な供述を押しつけ墓穴を掘ったといわざるをえない。
ところで、右ノート作成時に関してはノートの最後が「八・一四おぼうさん、家へこられる」等の記載であることより、昭和五七年八月一四日であることより、この頃が最終記載と思われる。
又前記右ノートの記載の仕方から見て、もし右八・一四以前に金五五〇〇万円の内訳が税金と謝礼に分類出来るとすれば、昭子は当然記載を変更したと考えられるが、そのような変更をしていない点から見て、本件犯行の最終時点たる同年七月五日まで、昭子は金五五〇〇万円が全部相続税であると考えていたのは明らかである。
弁護人は、右ノートについて右のごとく原審において主張した。
ⅱ この点について、原判決は、「税金及び手数料をわけて記載すれば、脱税した事は明記することになり、通常記載しないものと思われる」とした上で、金五五〇〇万円について長谷部等の手数料も右五五〇〇万円に含まれていると認識していたと評価した。
しかしながら右ノートは前述のごとく昭子が幸太郎の死亡にともなう支出について、メモしていたものであり、右作成時に、昭子は自己が脱税で逮捕される事などまったく予想していないことは明らかであろう。
昭子はそれまでまったく犯罪行為と無関係な一般市民であり、家庭の主婦である。そういう昭子が本来なら手数料と税金にわけて記載すべき、金五五〇〇万円と言う大金の使途についてのメモに関して、将来の自己の脱税行為の発覚を防止するため、あえて実態とは異なる記載をしたと原審の裁判官は考えたのであろうか。
右の原審の判断が非常識である事は明らかである。
e、以上論じたように、昭子の六月一二日の質問顛末書には、随所不自然な供述の変遷や、信じられない不自然供述があり、これが取調官の押しつけ、誘導によるものであることは歴然としている。右調書に関する原審の判断は妥当ではない。
2.圭司の質問顛末書に関する原判決批判
イ、原判決は、最初にとられた圭司質問顛末書について、「不正な税務申告である旨認めている点で特徴的であり、かつ時間的経過において、周辺事実と時間的経過において、合致する供述であると評価し、更に以後の質問顛末書についても昭子の質問顛末書に合わせているわけではなく、その経緯等について類似の供述がなされているが、違った記憶に基づいて供述されたもの」と評価し、その具体例として六月三〇日夜の被告人両名の会話と、七月三日に三枚の領収書を昭子に示した際に、昭子が驚いたという旨の供述をあげている。
ロ、しかしながら、原判決が当初より不正な税務申告である旨を認めている点が特徴的とする供述は、単に
「いいえ、正しい金額ではありません。実際は七〇〇〇万円程度の税金が必要であるのに、税額で一千万円程度しか申告していませんので、実際より低い金額で申告しています。」
(六月一一日員面一丁裏)
という、いわゆる弁解録取書と同様の形式的な供述であり、しかも前述のごとく右供述の七〇〇〇万円の税額については、取調官が当然知っていた事であり、何ら目新しいものがあるわけではない。なぜこの供述をして「特徴的」と言うような評価がなしうるのであろうか。生まれて初めて、捜索をうけ、動揺している人間が取調官より追及されて右程度の簡単な形式的な供述をしたからと言って、当然犯罪事実を自供したとするのは、あまりにも形式的な供述評価である。
ハ、圭司の質問顛末書が周辺事実と合致する点については、前記1、ロ、eで論じているごとく、本件ではほ脱の故意に関する供述に不自然な供述の変遷や、きわめて不自然な供述が存するのが特徴的であり、しかもその事が取調官の供述の押しつけ、誘導として問題となっているのであり、それ以外の事実について他の周辺事実や供述と合致したからといって、右質問顛末書のほ脱の故意に関する供述が当然信用できるものではない。まして前記六月一一日の圭司の調書については、前記引用部分以外には税金の申告について、同和会の長谷部に頼む事になったと簡単な経緯と小原、長谷部と申告にいったという程度の供述にすぎないものであり、他の周辺事実や供述と合致して、あたりまえのものであり、その事が右供述調書の信用性を何ら担保するものではありえない。
ニ、六月三〇日の夜被告人両名の会話に関する供述
a<1>「そこで皆帰った後、母の居る前で私は主人に
『同和からの借り入れをつくって税金を少なくしているんだね』
と尋ねたところ、主人も、
『架空の借り入れ一億七〇〇〇万円をつくって税金を安くなるようにしているのだ』
と言っておりました。」
(昭子六月一二日員面)
<2>「しかも妻も、当日皆が帰った後で、母が居るところで、
『同和からの借り入れは、嘘がバレないだろうか』
と心配顔で言われ、私も心配でしたが税金を過少にするための方法であると答えた記憶があります。」 (圭司六月一四日員面)
b、右<1><2>の供述を比較して、原判決が言うように、<2>の供述が<1>の供述と「その経緯等について類似の供述がなされているが、違った記憶に基づいて供述されたもの」と評価しきれるのか。弁護人には、単に供述の主体が異なるため、表現方法が当然変更されている以外は、供述内容については類似であり、しかも同一の記憶にもとづいて単に表現を若干変更したものとしか思われない。しかも前記<1>の供述に関しては、右供述に続いて、前記1、ハ、c、<1>及び後述第二、二、Ⅱ、c、3で論じているごとくきわめて不自然な供述変更が取調官の押しつけで行われているような調書である。
したがって前記<1>、<2>を比較検討しても、<2>について特に原判決が評価するような、「前記昭子供述と表現等において異なり、圭司がその記憶を喚起して供述していることを示すもの」とは言えず、右<2>供述をもって、その六月一四日圭司調書の信用性を担保しえるものとはなりえない。
ホ、七月三日に昭子が領収書を見た時の対応に関する供述
a、「私は店に帰り次第、妻に、
『向うに取られた方が多くて、税金はこんなに少ないんだ』
と言って、三枚の領収証を渡したのですが、妻も領収証を見てびっくりしていました」
(六月一五日員面七丁)
右圭司の供述について、原判決は何ら理由を示さず、信用性が高いと評価している。
b、たしかに何も知らずに金五五〇〇万円を渡して、税金の申告を頼んだところ、一〇〇〇万円しか税金として納付しなくて、残りが取られたと聞いたら、昭子でなくても誰でもびっくりするであろうし、そのような事態を描写した供述調書に迫真性が存するのは当然であろう。
又、調書作成のテクニックとして、右のごとき事実は供述の迫真性を増すものとして、取調官は調書に記載したいと思うであろう。
しかしながら、右供述には大きな欠陥が存する。すでに弁論要旨(第三、六、三、ロ)及び後述第二、二、Ⅱ、c、6で論じているように、六月一五日の調書上では、圭司は七月二日の日に長谷部等より、申告税額が約一〇〇〇万円程度であることを聞かされており、
「これは逆過ぎる」
と思っていたとの供述が存する。
この供述を前提とすれば、その話しをその日(七月二日)の内に、昭子へ話すであろうことは誰でも予想できる。しかるに圭司は七月二日には何も昭子に話さず、七月三日の日に申告後に初めて昭子と前述のような話をしたと供述しているのである。圭司と昭子は夫婦でありしかも圭司にとっては養子先の相続に関して、金四四〇〇万円の大金が長谷部等に謝礼としてとられるという、全く予想もしなかった重大局面に直面しているのである。少なくとも「ついつい話そびれる」と言うような簡単な状態ではありえない。
このような状況に直面して、圭司がその事を昭子に言わないはずはない。
もし圭司が、もし長谷部等から相続税の申告額について説明を受けているとすると、当然七月二日にその話を昭子に行うであろうし、そうであれば、昭子が七月三日に領収書を見て驚くという事態はありえない。
したがって六月一五日員面に関する前記供述は迫真性を出し、調書の信用を増すために、あえて取調官によって作出されたストーリーであり、全く信用できないものである。
ヘ、又、圭司の質問顛末書に関して言えば、最初の一通を除いて昭子の質問顛末書の作成後に、しかも昭子の顛末書の重要な調書を作成した取調官(篠原滋、松本敏英、但し六月一三日は別)によって作成されたものである。
そして原判決が「経過等について類似の供述がなされているが、違った記憶に基づいて供述した」と評価した前記ハ、ホの供述以外で、昭子の質問顛末書と、圭司の質問顛末書において、類似と言えない供述は、圭司供述のみに存する中川工務店に関する事実だけである。
しかしながら中川工務店に関する供述の問題点については、弁論要旨(第三、六、2、ロ、第四、二、5、ハ、第四、三、6、ハ)及び後述のごとく、取調官の押しつけによるものであることが明らかである。又前記ハ、ホで論じたごとく、原判決が特に昭子供述とは別個に圭司がその記憶にもとづいたと主張する供述に関しても、取調官の押しつけ、誘導によるものであることが明らかであり、とても昭子供述とは別個に任意でなされたものとは言いがたく、信用しがたいものである。
したがって原判決の圭司供述に関する質問顛末書の評価は誤りである。
3.被告人両名は検面調書について
イ、原判決は被告人両名の検面調書について
「これらの調書をふまえて整理し、被告人らから再度事情を聞いて作成されたものが、検察官に対する供述調書であるが、それらの調書は前記周辺事実にそうもので、具体的であり、さりとて被告人両名の供述を合わせたようなものではなく、昭子の昭和六〇年六月一七日付け検察官に対する供述調書においては、圭司から同人が全日本同和会の事務所の行ったことなどを聞かされていないかと問われ、聞いた覚えがない旨の弁解をとっているなど、その前後の状況や夫との関係などからみて当然知っているのではないかと疑われることに対し、昭子の言い分を記載しているなど、特に不審な点があるとは認められない。」
と評価し、更に
「弁護人は、調書が検察官の誘導や押しつけによって作成されたかのように主張するが、一般的に不自然と思う点や瞹昧な供述をより明確にするため、あるいは他の証拠との矛盾点などをなくすため事実関係を追及したりして調書が作成されることがあることは否定できないと思われるものの。」
と検面調書に取調官による供述の一定の方向づけや、論理整合性をもたらすための追及等が存することは認めつつ、本件において取調官の押しつけが行われていないとする根拠として、
『例えば西川の税務手帳には昭和五七年六月二三日の欄に、「一一時澤田氏来所協議書二部(渡し)」と記載されており、その協議書は手書の協議書であったのであるから、六月二三日の段階で圭司に手書の遺産分割協議書が渡っているとする方が捜査官にとって都合が良く、裏付けとなる証拠もあると言えるのであるから、押しつけをしているのなら圭司の調書などにおいて二三日に西川の事務所で圭司が直接手書の遺産分割協議書を受け取っている旨供述させてもよさそうであるのに、圭司の昭和六〇年六月二三日付けの検察官に対する供述調書においては、「当日かその前日ころに確か私が小原から受け取ったもの」と記載されているのであり、また、林政男から相続税に関して聞いたことについても、同人が計算をして約いくらの税金がかかるかを調査した結果を知っているのであるから、より具体的な金額を林から聞いた旨の調査を作成してもいいと思われるのに、圭司の同月二〇日付けの調書では「林が調べたところによると、ざっと私達夫婦と幸太郎の妻のぶが相続人となった場合、税金は、七、〇〇〇万円位ですが、のぶを除いて私達夫婦で相続すると相続税が一億以上かかる。ということでした。」となっており、六、九二〇万円又は一億三、八四〇万円といった金額はともかく、一億四、〇〇〇万円程度という金額も記載していない』
という二つの事例をあげて説明している。
ロ、しかしながら、検面調書が言う周辺事実にそう事が、本件において何ら供述調書の信用性を高めるものでない点についてはすでに昭子、圭司の質問顛末書の評価で述べているところである。問題はほ脱の故意に関する自供と言える供述が信用しうるか否かである。
又検面調書が具体的であるとの点であるが被告人両名の員面調書を土台にして作成するものである以上、取調官がそれまで明らかになった事実を前提に、それなりに具体的事実をより詳細に質問して、調書を作成するのは当然であり、具体的な調書であるとしても、それが調書の信用性を特に担保するものとはならない。
又、昭子が、圭司が同和会事務所に行った事に関して、聞いた覚えがない旨、不自然な弁解しているのに、そのまま調書化しているから特に不審な点があるとは認められないとしている。しかし後述二のごとく、検察官は、被告人両名のほ脱の故意に関する重大な事項について、被告人両名の犯罪を立件する方向でのみ、数多くの供述の押しつけを行っているのである。したがって、右のごとき単に昭子が同和会事務所へ圭司が行った事を知らないと言う供述のごとく、ほ脱の故意に直接かかわりをもたない、些細な一事例をもって、昭子の六月一七日付調書の全体について特に不審がないとの評価は、不当である。
ハ、検察官が、検察官の押しつけでないと評価した二つの事例については以下の通り、いずれも理由がない事は明らかである。
a.圭司が手書の協議書を受け取った日を圭司の調書等で、「二三日に西川の事務所で圭司が直接受け取った」旨供述させていない点について、原判決は右のごとき押しつけの方が西川の手帳という物証から見て、捜査官に都合が良いはずと判断し、しかるにそのような記載が検面調書にないから検察官の押しつけはなかったと評価している。
しかし右は、原判決が西川証人の証言を見落としたために生じた誤解にすぎない。
右の点に関する原審の誤解は西川の証言(第九回公判調書第四丁裏から五丁)から明らかであるが、更に西川は検面調書(六月二三日付)においても「分割協議書二部渡し」と記入しておるのは、「ニセの借入金を記している、相続税申告用に使用する分ですし、それを私か直接澤田本人に渡すことはないので、それを私に指示してきた長谷部氏があるいはその使いの者に渡していると思います」と供述している。
しかも、右の供述は検面調書であり、それ以前に西川の右事実に関する質問顛末書等の員面調書が存することも予想される。
従って、検察官が二三日に圭司が手書の協議書を西川から受け取った旨の調書を作成しなかったのは、証拠上、矛盾するからにすぎず、右事実をもって検察官が圭司に供述を押しつけなかった根拠とすることは出来ない。
b.圭司の六月二〇日付調書で、圭司が林から聞いたとする相続税額について一億四〇〇〇万円程度と言う金額が正確であるのに、これを記載せず、単に一億円以上とのみ記載している点が、検事が林から圭司が聞いた金額を押しつけなかった根拠となると原判決はいう。
確かに圭司は、六月一二日付質問顛末書三丁で、
「法定相続どおり計算すれば約七〇〇〇万円、母の『のぶ』が相続しなければ一億円を超える金額になると聞いた」
と供述して以来、右林から聞いた税額について検面調査上でも変更はない。
これに対して昭子については、すでに弁論要旨第四、三、2で論じているごとく、供述に変更がある。調書上での変更は以下の通りである。
「林さんは区役所で不動産の評価証明などを取って計算して、『税額は約七〇〇〇万円になる』と多分四九日の法事の席で教えてくれました。」
(六月一二日員面一一丁)
「その後の二月下旬ごろだったと思いますが、主人圭司と林政男さんとが話していたのを聞くと、何でも相続税が一億四〇〇〇万円位になるということでしたので、驚いてしまいました。
母ののぶを相続の計算に含めれば、税金は半分になるが、私や圭司だけで相続したとしたら一億四〇〇〇万円位の税額になるということであり、母も相続分の計算に入れて、その半分の七〇〇〇万円位になるという話でした。
(六月一七日検面六丁)
「私や主人が、先に義弟の林政男さんから教えてもらい相続税額というのは、私と主人だけで相続したら、一億円以上の税金を取られ、お母さんを相続に加えて、七〇〇〇万円位の税額になるというのを知っていたので。」
(六月二一日検面四丁)
つまり、昭子の調書に関しては、員面で「約七〇〇〇万円」が、六月一七日の検面で「一億四〇〇〇万円、母も入れて計算すると七〇〇〇万円」と、更に六月二一日検面では「一億円以上、母を加えて七〇〇〇万円」と変遷しているのである。
圭司の検面に関する原判決の理屈からすると六月一七日検面の昭子供述(場合によっては六月一七日の供述を更に変更した六月二一日付の昭子供述)は、検察官の押しつけによる信用性もないものになる。
弁護人は、単に昭子供述が金一億四〇〇〇万と言ったからといって単純に、右供述の変更のみで右供述が検察官の押しつけと一方的に評価するものではない。弁論要旨で主張しているように、やはり他の供述や供述変遷の過程、内容、供述変更が合理的と思われる理由等総合的に判断すべきと考える。
しかしながら、原判決における圭司供述に関する前記の理屈は、明らかで一方的であり、しかも昭子供述についての変遷を無視した認定であり、圭司の検面調書について他の証拠との論理整合性を無視して証拠評価を誤ったこじつけであり、論理矛盾である。
少なくとも圭司調書について金一億四〇〇〇万円の記載がないからといって検事の押しつけがなかったという根拠にはならないことは明らかである。
ニ、原判決は、「一般に不自然と思う点や瞹昧な供述を明確にするため、あるいは他の証拠との矛盾点などをなくすため、事実関係を追及したりして、調書が作成されることがある」と認めている。
弁護人は、右のごとき調書作成のすべてを否定しいるわけではない。しかしながら、取調官の追及によって供述に変更が行われる場合であっても、その供述の変更についてそれなりの合理性や必然性が必要なのは当然であろう。そのような供述の変更もありえるであろうと思えるような供述の変更の真実性を担保する諸事情(他の供述や客観的事実との一致、変更供述に秘密の暴露が含まれる場合、変更供述自体の合理性、供述の変更に理由が付されているか否か、及びその変更理由の合理性の有無、供述の変更がありえるであろうとする特別の事情の存在)が必要であろう。ところがすでに弁論要旨で論じ、更に後述する被告人両名の供述に関しては、共謀共同正犯の成立に関する事実(圭司が当初小原より聞き、長谷部等へ税務申告を依頼する事になった経緯について)、偽りその他の不正の行為という脱税の構成要件に該当する具体的行為の認識(手書の遺産分割協議書に有限会社同和産業の架空債務を計上して、脱税を行う)やほ脱結果の認識(小原から聞いた金五五〇〇万円がすべて税金であったと被告人両名が考えていたか否か、いわゆる小原への謝礼問題)等の、本件構成要件のもっとも重要な部分についてのみ、被告人両名の供述が自己の犯罪行為を認める方向でのみ、一方的に変更されていっているのである。
しかも、すでに論じているごとく、本件においては客観的な周辺事実に関しては、当初より被告人両名や他の事件関係者の供述等について、大きな不一致はない。したがって前記供述の変更の合理性の担保の基準のうち、客観的事実との一致は、あまり基準とはなりえず(唯中川工務店問題は松本証言との関係で客観的事実との一致が問題となる)、もっぱら変更供述自体の合理性、供述変更の理由の有無及びその理由の合理性、その他供述を変更を予想させうるような特別の事情等が変更供述の信用性の基準となる。
ところが前記被告人両名の供述の変更については、弁論要旨で論じているごとく、記憶の固定化の問題、供述変更に全く理由が存しないか、あるいは供述変更理由がきわめて不自然であるケース、あるいは中川工務店問題にみられる客観的事実に合致しないケース等が存し、その点から見て、供述の変更が合理的なものと評価しえず、取調状況等から見て取調官の押しつけ、あるいは誘導によるものとしか考えられない場面が多いのである。
したがって弁護人は、本件における被告人の供述変更は検察官による不自然な供述や瞹昧な供述の明確化、他の証拠の矛盾の解消といった、追及行為の結果ではなく、明らかに検察官による供述の押しつけ誘導の結果と言わざるをえない。
したがって被告人両名の調書は信用できない。
c.個別的争点について
1、総論
原判決は、弁護人が弁論要旨(特に第三)において、被告人調書の信用性について、主張したところその重要部分について、反論した上で被告人両名の調書はいずれも信用しうるものと判断した。
しかしながら、原判決の判断には論理矛盾や、きわめて非常識な予断と偏見に満ちた評価等が散在しており、到底容認できない。
2、昭子が有限会社同和産業の架空債務の計上という脱税方法を認識した経緯について
イ、弁護人は弁論要旨で
「昭子供述における取調側の誘導による供述の変遷の典型的なものは有限会社同和産業の架空債務を計上すると言う方法で脱税をはかった事実を昭子がどのように認識したかの供述の左記変遷に表れている。
六月末頃に自宅に集まって手書の遺産分割協議書を作成した際に
a.「小原さんは、
『相続税は、同和産業から一億七〇〇〇万円位を架空に借り入れて安くなるようにしている』
と言われたと思います」(六・一一員面)
b.「昨日は、このことについて、六・三〇に集まって小原さんが言ったと思うと瞹昧な答弁をしましたので、よく考えてみましたが、小原さんが私共以外の納税に関係ない者にまで不正な工作を言われるはずありませんので、小原さんが言っていたと申したのは主人から聞いたことに間違いありませんので直してください。」(六月一二日一四丁)
c.「六月三〇日かその前日頃、私は主人圭司から前述の手書の遺産分割協議書というのを見せてもらった覚えがある。」
右書類に同和産業よりの借り入れの記憶があった。
「以前、私は中川工務店の人から聞いたことがある被相続人に借入金や債務がある時には、その分は相続財産から減額されることになるという話を知っていましたし、その書類に書かれている借入金も、それと同じ方法で相続財産を減らそうとして、そこに計上していることを知りました。」
(いずれも六月二一日付検面七丁から八丁)
右のごとく被告人の供述は、「小原から聞いた」→「圭司から聞いた」→「手書の協議書を見て、中川工務店の話を思い出し、脱税の方法がわかった」と変遷している。
しかし中川工務店の話については後述のごとく、検察官の誘導による押しつけであることは明らかであるが、それ以外でもaからbへの変遷の理由が「aは瞹昧だった(何も瞹昧な供述ではない)がよく考えてみると小原が皆の前でいうはずがない(これは単なる理屈である)ので主人から聞いたことに間違いない(なぜ間違いないと言えるのか)」きわめて奇妙な論理展開で供述の変更の理由が語られ、しかも圭司から聞いたとする日時や状況については明確にせずに、圭司から聞いたことは間違いないと断言するという不自然な調書である。
さすがに検察官は右調書の不自然さ、及び手書の協議書については、証拠関係から見て、六月三〇日の直前に圭司に渡されているため、右調書のままだと昭子が圭司から話を聞く機会がほとんどなくなる事等より、昭子の供述をcに変遷させている。
しかしながら、前記供述は本件事件後三年を経過した後の供述であり、仮に記憶しているのであれば、その記憶は当然固定化しており変遷するはずのないものである。逆に右に関する事実は、昭子にとって自己が自己の意思で積極的に行動したものではなく、きわめて受動的に人から聞いたり見せられたりしたものであり、日常的な行為に近く、記憶には残りにくいものであり、何ら記憶していない可能性の強いものである。しかるに右のごとく事項に関する供述が前記のごとくきわめて短期間(六月一一日から二一日)の間の相手(小原から圭司)も形態(聞いた→見せてもらった)も大きく変化し、しかも、その変遷に理由が全く記載されていないか、記載されても供述変遷を合理化しうるような理由のないきわめて不自然なものである。これが検察官の押しつけによる供述変遷であることは明らかである。」
と主張した。
ロ、これに対して原判決は
ⅰ.当初「・・・であった。」などと断定的に言わずに「・・と思う。」と言っていたことは、瞹昧な言い方であると言えるのであって。
ⅱ.「皆の前で言うはずがない。」ということも、理屈と言えば理屈であるが相続税に直接関係しない者や遺産分割に異議を唱えた綾子の前の脱税のことに関していうはずはないという状況認識を言っているものとも考え得るものであり、単なる理屈と決めつけるわけにはいかないものである。
ⅲ.弁護人は三年もたっていれば、記憶は当然固定化しており、供述が変遷するのはおかしいと主張するが、必ずしもそのようなことは言えないことも経験することであり、何等かの方法で架空債務の計上のことは知っていることは間違いないが、その経緯について今一つはっきりせず、こうだったかもしれない。ああだったかもしれない。ともかく知っていたということも十分に考えられることである。
として検察官の誘導とは言えないと判断した。
ハ、しかし右原審の判断はいずれも理由がない。
まず原判決は当初a供述が「・・・と思う」と言っていることが、bの供述の「瞹昧だった」という供述の根拠だと反論し、「皆の前で言うはずがない」というb供述も状況認識を言っているものと考え得ると反論している。
しかしながら、右理論が弁護人の弁論要旨の趣旨に対する反論とはなっていない。
弁護人が弁論要旨で主張しているのは単に、a供述からb供述へと供述が大きく変更され、しかもその供述の変更の理由が述べられているもののその論理の展開が不自然であると、昭子供述の不自然さの一例を指摘したにとどまる。b供述に関していえば、a供述と異なり「主人から聞いた事は間違いありませんので直して下さい」と昭子が圭司からいつ、どのような状況で聞いたのかすら説明しないままで、昭子供述が自信に満ちた断定的なものになっている。
しかしながらc供述では、再度その自信に満ちたb供述が、手書の協議書を見て、中川工務店の話を思い出し、脱税の方法がわかった」と変更になり、しかもその供述変更理由がまったく記載されていないのである。
弁護人が主張しているのは、a供述がb供述に変更される理由の展開が奇妙な論理展開であり、しかも、b供述の自信に満ちた断定にまったく根拠が記載されておらず、しかもそのような断定的なb供述が更に何らの供述変更の理由もないまま、c供述と変化しているのが不自然と批判しているのである。
原判決のa供述からb供述への変更理由が肯定しうるとする前記ⅰ、ⅱ判断についても弁護人は納得しかねるものである(原判決は単なるへりくつにすぎない。)が、仮にその点に目をつぶるとしても原判決の理論では何らa供述→b供述→c供述への変遷を肯定しえるものではないのは明らかである。
ニ、前記イの弁論要旨における弁護人の昭子の記憶の固定化論について、原判決はⅲで必ず固定化するとは言えず、架空債務の計上を知った経緯についていろいろ供述し、ともかく知っていたという事は十分ありえる主張をしている。
確かに原判決の主張するごとく、昭子が事件後三年もたっているため、架空債務の計上という方法をとって脱税した記憶のみが固定化され、その方法を知った経緯について失念し、思い出そうとしていろいろ供述するという事態は十分考えられるものである。
しかしながら、本件において問題なのは、最終的に昭子も圭司もいずれも検面調書で、「手書の協議書を見て、中川工務店の話を思い出し、脱税方法がわかった」とそれ以前のいろいろ異なった供述をしている昭子や圭司(昭子、前記a→b→c、圭司後述及び弁論要旨第三、六、3、イ、第四、二、五、ロ)の供述が全く、同一のものに統一される形態で最終的に変遷し、しかも後述のごとくその脱税方法の認識が中川工務店問題という客観的事実にすら合致しない事実に依拠して語られた形態となっていることである。
中川工務店問題については後述するとしても、被告人両名に任意に供述させたものであるとすると、なぜに前述のごとく昭子、圭司について同一の供述と言う形態で最終供述が落ち着くのか。しかも昭子供述についていえば、a→b→cと、きわめて短期間に(六月一一日から二一日までのわずか一〇日ほどで)しかも相手も(小原→圭司→いずれからも聞いていない)形態、(小原から聞いたと思う→圭司から聞いた事に間違いない→手書の協議書を見て中川工務店の話を思い出し、脱税方法がわかった)と激しく供述が変化し、しかもその変遷について理由が全く記載されていないか、たとえ記載されていても、供述変遷を合理化しうるような理由のないきわめて不自然なものであり、しかもその変遷の結果が共犯者である圭司の検面調書と同一のものとなっているのである。
ここに検察官による押しつけ、誘導があった事は明らかであろう。
3.圭司供述の誘導側について
イ、原審において、弁護人は圭司調書の誘導例として、「三月末日から四月において圭司が小原から聞いた内容」(弁論要旨第三、六、3、イ、<一>)「圭司の手書の協議書の入手状況」(右同二)の供述の変遷について詳細に論じた。
これについて、原判決は、
「記憶の固定化についての弁護人の主張するところは直ちに賛同することができないものであり、いろいろと供述していることが任意な供述状況を示すものとも言えるのであり、順次追及されて記憶をたどっているものと考えることもできるものである。」とのみ簡単に反論している。
ロ、しかしながら、弁護人は単純に供述の変更があったから、右各供述の変遷が不自然だと主張しているわけではなく、弁論要旨にみられる通り、各供述の変遷過程について、時系列にしたがって具体的に分析し、他の客観的証拠の整合性を検討し、右供述事実が記憶に残りやすいか否か、残るとすると固定化しやすいものか否かを検討し、供述変更が生じてもやむをえない事情が存するか、供述変更について、何らの理由づけがあるか等を検討した上で、圭司供述があまりにも不自然な変遷をしているゆえに、まったく信用しがたいと判断したものである。
したがって、原判決ごとき、十把一からげ的反論は納得しがたい。
原判決は圭司供述について変遷供述の変遷の経緯についての分析をまったく放棄した杜撰な判断と言わざるをえない。
4.中川工務店問題
イ、本件における被告人両名の、「偽りその他、不正の手段」の認識に関しては、最終の検面調書段階では、いずれも以下の論理展開が調書上行われている。
ⅰ 被告人両名は、中川工務店の担当者より、もし幸太郎に負債があった場合、資産からその負債が控除されると聞いていた。
ⅱ 手書の遺産分割協議書を見た時、有限会社同和産業の架空債務が計上されているのがわかった。
ⅲ そのため、長谷部や小原がⅱの架空債務を計上する方法で脱税することがわかった。
ロ、ところが原審において、当時の中川工務店の被告人等への担当者であった松本は、松本が前イ、ⅰの説明をしたのは、入社して一年以上たってから(入社は五六年一一月頃)であると証言し、その根拠として、入社して一年ぐらいは税金対策についてわからなかったから、話す可能性はなかった旨証言した。
ハ、右松本証言について、弁護人は弁論要旨で次のように主張した。
「しかも、中川工務店に関しては弁護人請求証拠番号一〇号証ないし一二号証及び第二四回公判の松本宣夫の証言より(六丁ないし七丁、一三丁)被告人両名が、「被相続人の借金があった時には、それは相続財産から控除してもらえる」旨の話を中川工務店の人より聞く可能性があったのは、本件納税期間後である五八年の三月頃でしかないことが明らかとなった。
右松本証言の信用性について、検察官は論告において、「被相続人の債務があった場合には、相続税の申告時、控除の対象となる旨澤田に説明したのは、五七年八月一九日付けの工事請負仮契約書以降のことであった旨証言しているが、同人の証言によれば、澤田方には何回も赴いており、具体的にどの時点で説明したのかは証人の記憶以外にこれを証明するものがないのみならず、仮に時期が同証人の供述どおりであったとしても、同証人以外の中川工務店の関係者から右のような事情を聞いた可能性も否定し切れず、同人の証言からこれを明確に否定する供述はないところである」と反論する。
しかし、松本証人が税金の事がわかるようになったのが、五七年の秋頃であり、しかも澤田さんの件は松本証人が中川工務店に入って最初の客であり印象が強い事、中川工務店の関係者で被告人方に出掛けたのは、中川工務店の社長と松本が一緒に行った以外には、ほとんど松本が一人でいっていた事、松本は当時業務用に使用していた手帳に取引先との交渉について正確に記載しており、被告人との交渉についての記憶も右手帳によって喚起している事、右松本証人は特に被告人両名のために虚偽の証言をする必要性も理由もない利害関係のない第三者たる証人であること、しかもその証言内容が一貫しており、何ら不自然かつ虚偽と思える証言がないこと等から見て、右松本証言がきわめて信用性の高いものであることは明らかである。」
ニ、ところが原判決は、右の弁護人の主張について
(a) 税金関係の知識がなかったという根拠は、昭和五六年一一月中川工務店に入って、法的なこと、建築のことも分からなかったし税金のことも知らなかったということにとどまり、裏付けのある話ではない。
(b) 松本は住宅金融公庫から融資を受けマンションを建設し、その建設したマンションの入居の斡旋までする者であり、融資にからむ金銭関係のことに通じていなければ仕事が十分できない者であり、融資を受けマンションを建設し、入居者を確保すれば、資金回収もでき、マンションという資産も残るなど融資な話をすることができる者であったと考えられる。
(c) また、松本は弁護人が言うように利害関係のない第三者たる証人とまでは言えない者であり、被告人らに有利に供述している可能性のある者である。
(d) 中川工務店のことは、当初圭司の昭和六〇年六月一四日付けの質問顛末書に、圭司が工務店の人なら土地の事についても詳しいだろうと考えて、不動産の相続の方法を尋ねたこともあったとして話が出たものであり、圭司は同月一七日付けの質問顛末書においても中川工務店の話を出しているが、これらの記載から直ちに検察官に対する供述調書において記載されている内容が推認されるわけではなく、検察官は中川工務店の関係者から事情を聞いていたわけではないのであって、その知っていた供述を押しつけたものとも思われず、被告人らの内のどちらかが、圭司が中川工務店に相談したことがある旨言っていたことにからんで事情を聞かされた際調書のような話をして、もう一方の者にも聞いたところ同じことを言ったため、供述調書に記載したと思われるものである。両者が共に供述するのは押しつけがあったと見るより、その供述にそう事実があったとみる方が素直なことなのではなかろうか。
(e) なお仮に、この点が被告人両名の時期の取り違えによる供述であったとしても、被告人らの検察官に対する供述調書全体の信用性までがなくなるものとは言えないと考える。
と評価した。
ホ、前記ニ、(a)、(b)に対して
原判決は前記松本証言の税金の知識がなかったという根拠は、裏付のある話ではないと否定し、松本は職業柄、金銭関係に絡む事に通じ、財産の有利な運用の話は出来る者であったとして、松本証言の信用性を否定した。しかしながら、右判断は、裁判所の独断によるものである。
けだし、証言で明らかなごとく、松本証人は、昭和五六年一一月に中川工務店に入社しているが、それ以後は三越土地株式会社で建売住宅のセールスをやっていたにすぎない。
建売住宅のセールスの仕事の内容は、すでに出来上がっている物件を買い手にすすめ、買う気をおこさせる事(しかもその購入資金の段取りはもっぱら買い手自身が行う)が中心であり、セールスの技術においては、経験を要するであろうが、融資、建設工事、税務対策等について、特に専門的知識が必要な業務でない。
少なくとも中川工務店の主たる業務内容である住宅金融公庫の融資をうけて、資金調達から、建設、入居の斡旋という多角的且つ多方面についてそれなりに専門的知識を有し、その知識と経験を生かして、全く素人の土地所有者にマンション経営を進め、具体的な融資、建設設計、建築作業、入居の斡旋等を行う業務とは、その業務内容に大きな隔たりがあることは明らかである。
したがって松本証人が中川工務店に入社して
「それまでにはほとんど法的なことを、建築のこともまず分からなかったですし、そういう税金のこと、対税的な問題、それも当時はほとんど知識がなかったのです。ですから、澤田さんのところへ寄せてもらったのが翌年の五月でしたので、その当時にはほとんどそういうことは、自分では理解していなかったと思います。」
(第二四回公判調書七丁)
と言うのはもっともなことである。
したがって、前記二(a)で松本証人が当初、被告人両名方を訪れた当時は税金関係の知識がなかった根拠に関する、前記証言は、十分と納得できるものであり、裏付けのある話である。
又原判決は、不動産の建築、売買について、もっぱら建売住宅のセールスとかなり多方面の専門的知識とセールストークを要する中川工務店の業務について、ほとんど同一視し、中川工務店に入社後、半年しかたたず、しかも中川工務店での最初の客である被告人両名に対して、松本証人がかなり専門的な節税対策のセールストークも可能であったろうと認定しているが、右認定があまりにも業界の実態に対する認識不足と、松本証人のおかれた状況を無視した暴論であるかは明らかであろう。
ヘ、前記ニ(c)について
原判決は松本が被告人に有利な供述をしている可能性のある者と認定している。
これこそ、予断と偏見に満ちたものである。
確かに松本証人の証言が前記中川工務店のマンションの建築中とか建設後間もない時期であったのであれば、場合によっては原判決のごとき認定もありえよう。
しかし、松本証言が行われたのは昭和六三年の九月(建物が建てられたのは昭和五八年)であり、しかも当時松本証人は中川工務店を退社し、株式会社足立建設と言う別会社に勤務していたのものである。
したがって被告人両名のために有利な供述をしなければならない状況は全くないのである。
しかも松本証人は当初、自己が事件とかかわりになることをいやがり、証人として出頭に消極的であった。(一般人であれば当然であろう)そのような松本証人が弁護人の「記憶にある通りの証言でいいですから」という説得でやっと出廷を決意し、しかも、事件当時の記憶を、当時詳細に記入していた手帳をもとに喚起するという真しな証言態度をとっているのである。
なぜこのような松本証人が特に被告人両名に有利な証言をしなければならないのか。
本件においては利害関係を有する証人は多数存する。特に長谷部、小原、西川にいたっては共犯者であり、彼らの供述は講学上、自己の罪責を他人に転嫁して、少しでも自分の罪を軽くしようとし、虚偽の供述をする恐れの強い、共犯者の供述である。
しかるに原判決は、彼等共犯者の供述については、被告人に不利な責任転嫁と思われる供述をほとんど採用した上で、事実認定を行いながら、共犯者の供述とは全く比較にならないぐらい、利害関係のないはずの松本証人については被告人に有利な証言をしている可能性があるとして、その証言を排斥しているのである。
これが、公平な客観的な証拠評価と言えるであろうか。原判決のような証拠評価が許されるのであれば、刑事裁判において、弁護側の証人による反証活動は、ほとんどすべて利害関係を有する証人と認定される可能性がある。
けだし、前述のごとく一般市民は証人として法廷に出廷を嫌がるものであり、それをあえて出廷するには被告人との関係において、当然それなりの事情と経緯が存する。
したがって、弁護側証人について出廷した事だけでも、裁判所が被告人と何らの利害関係が存するという風な感覚を前提に、証人の証言について証拠評価が行われる危険性があるからである。
原判決が正にそうである。
原審における検察官の論告を見てほしい。被告人を訴追する立場にあり、その責任を有する検察官ですらその論告において、松本証言に対して、種々の反論を行っているが、松本証人をして被告側に有利な証言をする可能性のある証人とは論じていない。
原判決の松本証言への評価は明らかに予断と偏見に満ちたものであり、絶対に容認しがたい。
ト、前記ニ、(d)について
a、原判決は、前記被告人両名の中川工務店に関する類似供述について、前記ニ、(d)で、「両者が共に供述するのは押しつけがあったと見るよりは、その供述にそう事実があったと見る方が素直なことではなかろうか」と評価している。
そして右説明に関して、「被告人らの内どちらかが、圭司が中川工務店に相談したことがある旨言った事にからんで事情を聞かれた際に調書にような話をして、もう一方にも聞いた・・・」と推認している。
b、証拠上明らかなごとく、先に中川工務店と有限会社同和産業の話を結び付けたのは圭司(六月一四日員面)である。弁護人は弁論要旨でその経過について次のように主張した。
「圭司は単なる電器店の経営者であり、税務についての知識がないことより、仮に圭司が前記架空債務の計上について認識しても、それだけでは、なぜ架空債務を計上することで脱税が可能なのかまでは理解しえないと、予想し、そうであれば圭司について右程度の認識では「偽りその他不正の手段」についての認識すなわちほ脱の故意としては不十分と考えていた。そのため圭司が中川工務店より、「亡夫の借金があれば相続財産から引かれると聞いて知っていた」ので、「架空債務の計上による脱税が理解できた」と圭司に説明させることによって圭司の脱税手段についてのほ脱の故意を立証しようとした。」
右主張は維持するものであるが、仮に圭司について検察官の評価のごとき説明が行われたとしても、昭子に関して言えば、その圭司調書を前提にして検察官による押しつけが行われたことは明らかである。この点については次の通り弁論要旨で明白と言える。
「ところで被告人両名の員面調書がすべて公判廷に提出される前である第二三回公判廷において、中川工務店に関する供述及び六月三〇日に架空債務の計上に関して、中川工務店の話から架空債務の計上による脱税という方法をしった圭司と昭子が、脱税がばれやしないかと話し合ったという供述に関連して、昭子はいずれも検事が、圭司がそのような話しをし、調書も出来ていると言われ、「そうであるならと言うとおりにした」旨の証言を繰り返し、検事による押しつけの事実を証言した。(第二三回一六丁、同二六丁裏から三〇丁)。
その後検察官より、前記員面調書が証拠として提出され、中川工務店の事実については(圭司、六・一四、二丁、五丁)、架空債務の計上についての被告人両名の会話については(圭司、六・一四員面六丁、同六・二〇検面一四丁)でいずれも昭子供述に先行して圭司の供述が存することがわかり、右各供述については、検事に押しつけられて供述した旨の昭子の証言が信用しうるものであることが明らかとなった。
チ、前記ニ、(e)について
原判決は、「仮にこの点で被告人両名の時期の取り違えによる供述であったとしても、被告人らの検察官に対する供述調書全体の信用性がなるものとは言えない」と判断している、しかしこれは明らかに誤りである。
けだし前述のごとく、4、イ、におけるⅰ→ⅱ→ⅲは、いずれも本件における、「偽りその他不正手段」という具体的脱税方法の認識という本件事件の核心部分に関する供述である。しかもそれは、ⅰを知っていたからⅱを見たとき、ⅲであるとわかったという論理展開をもって脱税方法を理解したと言うものである。したがって、その論理展開の出発点であるⅰが存しなければⅱを見たとしても、ⅲとわからないのである。
原審が単にⅱの認識のみで、「偽りその他不正の手続」の認識として十分であるとするなら(弁護人は意味の認識として、少なくとも不十分であり、ほ脱の方法についての故意は認められないと考えるか)、別段、そうでないのなら、中川工務店に関する時期の取り違えは、「偽りその他不正の手段」の認識にとって、客観的事実と反する決定的な食い違いが生じている事になり、しかもそれが本件ほ脱事件の核心的な部分についてのそごであることより、前記ⅰ→ⅱ→ⅲの論理展開での「偽りその他不正手段」の認定が不可能であるというにとどまらず、本件各検面調書全体の信用性に大きく影響することは明らかである。
少なくとも時期の取り違えがあれば、証拠上被告人両名の具体的脱税方法に関する認識を立証する被告人供述は存しない事になる。
5.昭子が金五五〇〇万円を全部税金と考えていた点について
イ、原審における検面調書上では、被告人両名は、「小原から指示のあった金五五〇〇万円に関して、税金と長谷部等への謝礼も含まれた金額であると思っていた」という被告人両名供述につき、弁護人は、被告人両名の右調書は、取調官による押しつけ、誘導であり、被告人両名は「右金額は全部税金である」と理解していたと主張し、その根拠として、六月一二日昭子調書添付のノートの「相続税総額五五〇〇万円」の記載や被告人両名が金五五〇〇万円とは別個に小原に金五〇万円を謝礼として渡していることをあげ、更に右に関して、検察官の主張の供述が誘導である例(弁論要旨第三、六、2、ハ、<三>の六月一二日付、員面の一五丁から一六丁の記載)や、昭子員面調書のきわめて不自然な例(弁論要旨第三、六、2、ハ、<四>、同<五>、同<六>)をあげた。
ロ、これに対して原判決は前記ノートや小原謝礼金五〇万円については、弁護人とは別個の解釈をなし、弁護人が不自然と指摘した供述についても「一見不自然な供述に見える部分があったとしても、それをもって直ちに弁護人がいうようにその供述が信用できないとするほどのものとは思わないと評価し」、昭子について「小原に五〇万円とビールを渡したからと言って、またノートに五、五〇〇万円と一括して記載しているからといって、納付書、領収証書を見ているなどしているのであるから、全てが相続税になったものと考えていたとは思われない。」と判断した。
ハ、まず原判決は「・・・・・・納付書領収証を見ているのだから、全てが相続税になったものと考えていたと思わない」部分は、明らかに原判決が、本件事件における昭子のほ脱犯としての、構造及びそれを前提とする供述調書の評価を誤ったものと言える。
すなわちすでに論じているごとく、本件における実行行為の終了時は検察官の釈明で明らかなごとく、七月三日の申告書提出終了時である。
しかしながら昭子が、納付書や領収証を見たのは、右申告書提出後(実行行為終了後)の七月三日夜、圭司が自宅に帰ってきた時である。したがって右納付書等を見て、昭子がどのような認識をしようと、それは実行行為者の実行行為終了後の認識であり、その事が本件脱税事件における昭子のほ脱犯の故意の認識には、何ら関係しない事は明らかである。又、昭子の供述調書においても、昭子にほ脱犯の故意を認定するためには、昭子が右納付書を見る以前の段階において、昭子が各種関係者の行為をどう理解していたかが問題(本項の問題としては、小原から聞いた金五五〇〇万円は全部税金と思っていたか否か)となるのである。それ以後の認識、したがって原判決が言うがごとき、「・・・納付書を見ているのであるから・・」は、本件昭子のほ脱の故意の認定には無関係であり、又右のような基準をもって、昭子の調書を評価することはできず、昭子調書については、納付書を見る以前に昭子が認識していたと思われる認識に関する供述のみが、昭子のほ脱の故意の認定資料として使用しうるにすぎないものである。したがって原判決の、昭子が領収証を見た後に認識した事実を前提とする昭子供述に関する証拠評価は明らかに不当なものである。
ニ、次に昭子がノートに金五五〇〇万円とのみ記載した事について、検察官は、「税金及び手数料を分けて記載すれば脱税していたことを明記することになるものであり、通常記載しないものと思われる上」とあたかも昭子が右記載当時に、後に自己の犯罪行為が発覚する可能性を予想して、意図的に記載しなかったかごとき認定をしている。しかしながら、右ノートは昭子が亡幸太郎の相続の費用について、その使途を明らかにするために作られたもので、メモに類するものであり、正式の経理帳面ではない。
したがって保管をしておいて、将来だれかに見せるというような事を考えて作成された帳面ではない。このような将来だれにみせる事も予想しない自己の備忘録たるメモの作成に関してまで、それまで犯罪の前科前歴もなく、普通の家庭の主婦である昭子が、将来の犯罪の発覚の可能性を予想して、特に高額である税金と長谷部等への手数料金五五〇〇万円についてのみ、あえて相続税とのみ昭子の認識に反する記載をしたということはありえない。
右に関する原判決の評価は明らかな予断と偏見に満ちたものであり、右ノート作成時の昭子のおかれている状況についての評価を誤ったといわざるを得ない。
ホ、次に右ノートの金五五〇〇万円の評価に関して、「長谷部に対する謝礼を出すことを考えていなかったというのも、不自然であり長谷部に対する謝礼を含めた金員が五五〇〇万円であったため、合わせて記載したものと考えられる」といっている。しかしながら右認定は明らかにおかしい。
「長谷部に対する謝礼を出すことを考えていなかったというのは不自然」(昭子は西川経理士については請求がくれば支払うつもりだったと証言しており、具体的な請求があれば必要な支出はするつもりでいた事は明らかである。第二一回公判調書)と評価し、その上で、そうであるから、「長谷部に対する謝礼を含めた金額が五五〇〇万円だったため、合わせて記載したと考えれる」と認定している。
しかしながら、仮に長谷部に対する謝礼を含めた金員が五五〇〇万円であったとしても、なぜそのことから合わせて金五五〇〇万円と記載する必然性があるのか。前記ノートを見ればわかるように、昭子は右ノートにつき、家庭の主婦というべきか、実に細かくお礼の商品の種類や個数まで分けて詳細に記載している。
このような昭子であれば、仮に金五五〇〇万円が税金一〇〇〇万強と手数料約四四〇〇万円に分類できるものであれば、当然分類して記載するであろうことは、誰でも予想できることであり、原判決のごとく合わせて記載する可能性はありえない。
原判決の「謝礼を含めた金額が五五〇〇万円だったから、合わせて記載した」との判断は、あまりにも非論理的な推測にすぎない。
次に原判決は、小原への金五〇万円のお礼の趣旨について、「小原が五五〇〇万円の中から謝礼を受け取っているかどうかわからなかったこともあって、小原に対し、五〇万円とビールを渡した可能性もある」し、又「被告人らが捜査段階でいうように、綾子説得の謝礼と解することもある。」といずれかであると推論している。原判決が犯罪事実の認定に関して、重大な争点について、明らかに相反するような事実を、しかも明確にではなく、推論の形態で論ずるのは妥当ではないと考える。
しかしながら右のごとき、論理展開をせざるをえなかったのは、原判決は自己の事実認定に自信がもてなかったためであるとも考えられる。
そのような自己の認定について明確な心証形成が出来ない場合には、まさに「疑わしきは被告人の利益」と認定するが刑事裁判は原則である。右判決は刑事裁判の大原則に反していると言える。
被告人両名が小原に金五〇万円を支払ったのは、あくまで本件の相続税の申告と綾子問題を解決してくれた小原への純粋なお礼の趣旨であり、同和会より、小原に金五五〇〇万円の内より謝礼が渡っていない可能性を考えて行ったというようなものでもなければ、綾子の件に限定した謝礼でもない。
この事は当初の昭子証言より明らかである。
「五〇万円の金額にしたのは、納税額が当初言われていた七〇〇〇万円位よりも安くなっておりますし、姉の綾子の法定相続の主張に対しても仲裁の労をとっていただいた謝礼です。」
(昭子六・一二日五丁)
ところが、弁論要旨でも論じているごとく、右に関する被告人の認識については、後の圭司の検面調書(六月二三日)で綾子の件に限定した謝礼に変遷している。
しかし右が検察官の押しつけによる供述の変遷であることは明らかである。(弁論要旨第三、六、3、ロ <三>)
ト、次に原判決は、「・・・一見不自然な供述に見える部分があっても、それをもって直ちに弁護人がいうように、その供述が信用できないとするほどのものとは思わない」
と限定している。
しかし、弁論要旨で主張している供述について(第三、六、2、ハ、<三>、<四>、<五>、<六>)、これを右のごとき限定をする原判決は明らかに予断と偏見をもっているといわざるを得ない。特に前記弁論要旨第三、六、2、ハで論じているごとく、昭子検面について言えばそれ以前の昭子のきわめて不合理な供述の変遷や、不自然な供述が多数存する質問顛末書について、何ら真剣な検討をせずに単に質問顛末書を安易にやき直して作成されたものと言わざるをえず、後述する昭子の使用しそうもない専門用語の押しつけ等をあいまって、とても被告人昭子の任意の供述につき、その供述内容について検討した上で作成した書面とは言えない。
6.圭司の六月一五日員面及び六月二三日付検面の問題点
イ、弁護人は圭司が七月二日に長谷部から申告内容を聞いた際に、金一〇五二万円が税金として、「逆過ぎる」と思って驚いたと供述しながら、その話を同日の内に妻の昭子に話していないのは不自然と主張し、更に右の点について、六月二三日の検面調書では、「その時は、まだお金を納める前でしたので、特に強くは思わなかった」と弁解しているのも、おかしいと指摘した。
ロ、しかしこれについて、原判決は、
「確かに圭司と昭子の関係からすればいろいろ話をしていることはあると考えられるものの、本件は圭司が小原から紹介を受けて長谷部らによって申告手続きをとってもらうことになったもので言わば圭司により重い責任がある場合であり、多少の負目があったとも考えられるのであり、申告手続きも最終段階に来ており、この段階で他の手立てをとる訳にはいかない状況であり、また昭子に話してもどうなるものではなく、余りに逆だと思いながらも、ついつい話そびれるということは十分に考えられる。また、検察官に対する供述調書にあるとおり、数字上のことでありピンとこなかったこともありうることである。」
と認定している。
ハ、しかしながら、圭司が昭子に言いそびれるという事があろうか。圭司は澤田家の養子である。そして圭司にとって、澤田家の財産の円満承継と言う事は、養子としての最大の責務であり、ついつい言いそびれるという事が予想されるような事態ではない。
しかも圭司は、金七〇〇〇万円程度が相続税と考えていたものが税金としては、わずか金一〇〇〇万円程度しか納められなく、金四四〇〇万円もの大金が自分の予想に反して、長谷部等の手数料となろうとする重大事態に直面しているのである。
養子である圭司の目の前で、右のごとき重大な相続税の申告に関して、全く予想外に事態が急変しているのである。
圭司が養子として、亡幸太郎の実子であり、家付の妻である昭子にその事について相談しないというような事態は常識的に見てありえない。
右に関する原判決の認定は誤りである。
ニ、圭司が、「金四四〇〇万円が謝礼にとられることについて」、「数字上のことであり、ピンとこなかった」ということもありうると原判決は認定した。
大金を支払うについて、現金でなければ実感がわかないという程度の金銭感覚は子供や家庭の主婦のものである。しかしながら、圭司は永年電器店を経営しており、税務について、確かな知識はなくても金銭感覚については少なくとも商人としての感覚を有していることは明らかであり、現実的に四四〇〇万円を渡して、はじめて事の重大さに気づいたというのはあまりにも不自然である。
電器店を経営している圭司が金四四〇〇万円という多額な金員について、帳面上や数字上のことであるからピンとこないような金銭感覚で、商売が出来ると原審の裁判官は本当に考えたのであろうか。
しかも圭司が負担しなければならない謝礼は金四四〇〇万円という大金である。
右に関する原審の認定はあまりに非常識であろう。
ホ、次に右の検面調書の記載について、弁護人は検察官の押しつけ、誘導によるものであると主張していた。
ところで原判決は、
『弁護人が検察官にこの点について不自然さを感じ、「まだ金を納める前でしたので、特に強くは思わなかった。」などと言わせたと主張し、かつそれでも不自然であろうというが、検察官が不自然さを感じたのであれば自然なようにするとも考えられ、それをしないまま供述をさせているのは、不自然さは残るものの圭司がそう説明するのであればそういこともありうると考えたためで、必ずしも検事が作文したものとは言えないものと考える。』
と判断した。
しかし、右認定理由はあまりに御都合主義のへりくつである。
けだし、前述のごとく、弁護人の被告人両名の調書については、検察官の押しつけ誘導との主張に対して、原判決は、
「弁護人は、調書が検察官の誘導や押しつけによって作成されたかのように主張するが、一般的に不自然と思う点やあいまいな供述をより明確にするため、あるいは他の証拠との矛盾点などをなくすため事実関係を追及したりして調書が作成されることがあることは否定出来ないと思われる。」
と主張している。
右の二つの原判決の主張で言えば、供述内容が自然なものに変更された場合は、取調官の合理的な追及によった結果であり、不自然なまま残っているのは供述者が任意に供述したからそのままにしておいた結果であり、いずれにしろ、その供述は信用しうると言う事になる。
しかしながら、供述の任意性、信用性を判断する場合、供述内容が自然であるか否かが一つのポイントになり、自然であればその信用性が増大すると考えるのが、証拠評価の一般的原則であろう。
しかるに原判決は、不自然供述がそのまま存しても、自然な供述に変更されても、検察官の取調方法はきわめて適切に行われたということになり、その面ではその供述は信用しうる。という事になる。
言うまでもなく、刑事裁判において、被告人の自供は、証拠として大きな位置を占める。そうであるがゆえに、虚偽の自白を安易に信用することによって、多くに冤罪事件が発生し、しかし現在でも自白の偏重による誤判は存するのである。裁判官が自白調書について、その任意性、信用性について特に細心の注意をはらい、慎重に他の事実関係と照らし合わせ、供述に変遷があればその変遷について変遷の過程の分析、変遷の理由の分析を行うべきは、当然であろう。
ところが、取調官の押しつけ誘導等によると思われる不自然な変遷があり、又きわめて不自然な供述が存するとの弁護人の主張に対する、前記原判決の検察官の調書作成に関する評価は、検察官の調書作成行為について検察官を無媒介的に全面的に信用し、裁判所の自供調書の任意性、信用性の検討という基本的かつ重大な義務を放棄したものといわざるをえない。
原判決の検察官調書に対する評価は裁判所の捜査活動に対するチェック機能を放棄し、ひたすら無批判的に検察官を擁護し、原審におけるきわめて不十分な論告を擁護する「論告の弁論」と言わざるをえない。
7.昭子調書の用語の問題点
イ、弁論要旨(第三、六、2、ニ)で昭子調書については、「利口な計算」「税金の圧縮」「代償財産の分与」等、本件犯罪事実の認定に関する重要な供述の中にとても昭子が使用するとは思われない用語が使用されていることより、弁護人は右用語の使用が検察官による供述の押しつけ、誘導の証拠であると主張した。
ロ、これに対して原判決は、「その点平易な表現を使う方が良い事は確かであるが」としつつも、昭子の言語理解能力について言及しつつ、
「調書に使われた用語の厳密な意味を別として、概略の意味は十分認識しえたものと思われる」
と評価した。
ハ、しかしながら、右原判決は納得いかない。原審において、弁護人は何も昭子調書の前記文言について、昭子が意味もわからないまま調書化されたと言っているのではない。そもそも供述調書とは、供述者の供述を録取したものであり、多少は、録取者の録取方法、調書作成方法等で差異が生ずるも原則は供述者の供述に従って作成されるべきものである。ところが前述のごとき昭子調書については、その点が完全に没却され、検察官が自己の使用用語をそのまま、昭子の供述であるかのごとく調書化し、しかも昭子に署名押印させたのである。
弁護人は、その点を捕らえて、まさに右調書の作成方法が、検察官の押しつけによる違法なものであると言ったのであり、昭子が右用語についてそれなりの理解が出来ようと出来まいと問題ではなく、検察官の押しつけこそが問題なのである。
弁護人も前記のごとき、取調官の露骨な用語の押しつけ例を知らない。
昭子調査に関して、右のごとき露骨な取調官の押しつけがあり、又そのような押しつけを反発することもなく、唯々諾々と受け入れて調書化してしまう昭子が存したことは明らかであり、右用語側から見ても、昭子の取調状況、自白調書の作成状況が明確となるであろう。
昭子調書は、取調官に迎合し、その意思にそって変遷したものであり、調書としての信用性は全くない。
Ⅲ 被告人両名の共謀共同正犯の共謀の認識時期及び共謀の認定内容と事実誤認
A.原判決は、被告人両名の本件公訴事実の共謀時期について、『昭子が夫圭司より小原が、「相続税はたくさん取られるがいい経理士さんを知っているから紹介してあげようか、その人なら利口に計算してもらえる。」などと聞いて来、税金が正規の半分位になる旨話され、相談の上圭司を通じて申告の依頼をすることにしたときに共謀があったものと認められる」と認定し、その共謀における認識については、「圭司の当初の認識は架空債務の計上といったような具体的方法までは知らない何らかの不正な方法により、税額を半額程度にするとの不正の認識であり」、「昭子の当初の認識としては圭司より漠然とした不正の認識であり」と認定している。
B.ところで共謀共同正犯における共謀とは、「二人以上の者が特定の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議」(大判昭和三三.五.二八)と解されている。
したがって、共謀と言うためには、犯行内容についての詳細な点に至るまで、明確かつ特定して行われることは要しないとしても、少なくとも、不正な行為が行われるという程度の認識は必要であり、本件について考えてみると、被告人両名には、「何らかの不正手段で脱税を行う」という程度の共同認識は必要である。
C.しかるに昭子について、原判決が圭司との共謀を認定した時期(昭和五七年三月末から四月初め)における昭子の認識に関する供述をひろいあげると右のようになる。
・私共は当初小原さんにお願いした頃には税金をごまかすつもりはなかったのです。
(六〇・六・一一、員面六丁うら)
・圭司が、小原靖弘さんから「相続税の申告を済ませたか。相続税はたくさん取られるが、いい経理士さんを知っているから紹介してあげようか。その人なら利口に計算をしてもらえる」と聞いて来たと私に話していました。 (昭子 検面六〇・六・一七)
・主人が小原さんの紹介してくれる経理士さんに頼めば半分ぐらいの税額になるというような話をしていたように思います。
(昭子 六〇・六・二一・三丁)
・私としては小原さんは昔からの土地の人で使用できる人と思っていましたし、税金申告について何かうまい方法があるのかなぁくらいに思っていたのです。
(右同 四丁から五丁)
D.右昭子供述は、昭子自身が何らかの不正手段をもちいて、小原等が税金の申告を行うのではないか等の疑問を感じていたと解しうるものではなく単に「うまい方法がある」程度の認識であり、節税の認識はあるも脱税の認識と評価しうるものではない。
少なくとも原判決は、昭子の員面、検面について任意に供述されたものであり、その信用性は高いと評価するのであるが、そのような原判決が右各供述内容でもって、どうして昭子の共謀が認定しうるのか、弁護人には理解できない。
少なくとも、右昭子供述は前記判例の「二人以上の者が特定の犯罪を行うため・・・謀議」と評価しうるようなものでないことは明らかであろう。
E.昭子には原判決が認定した、「漠然とした不正の認識」すらない事は明らかであり、圭司を通じて小原らに税金の申告を依頼する事を決めた時点で昭子に本件の共謀を認めた原判決は、明らかに事実誤認である。
Ⅳ 昭子についての考察
A.すでに論じているごとく、被告人両名に対する原判決は事実誤認である。
ただ弁護人としては、原審における各種証拠の評価に関して、その評価方法、判断基準の差異が、原審裁判所、検察官、弁護人にあったとしても、少なくとも昭子に関しては、原審における昭子供述を中心とする証拠関係から見ても、明白に無罪と認定されてしかるべきであったと考える。少なくとも刑事裁判の大原則たる「疑わしきは被告人の利益に」を前提とした場合、昭子を有罪とした、原審の証拠評価の異常さに慄然とする。
B.すでに論じているため、概略のみ主張するが、本件において昭子は、本来実行行為に関するすべての行為を、圭司を通じて、長谷部、小原に委ねており、しかも、長谷部、小原の行動についても、圭司を介して間接的に情報を得るだけであり、本件各実行行為に昭子が関与したと言えるのは前述のごとく手書の遺産分割協議書の作成に関して、単に小原に指示されて署名押印しただけであり、自己の申告書を見た事もなく、申告金額も知らず、しかも実行行為終了後である、申告手続終了後に金一〇〇〇万円程度が七月三日に納付されていることを知ったのみである。
C.ところが右のごとき昭子について、原判決は圭司を通じて小原らに税金の申告をたのんだ時点で圭司と本件脱税の共謀をなし、手書の遺産分割協議書を見て、中川工務店の人から聞いていたこともあって、有限会社同和産業の架空債務の計上による脱税の方法を知り、その後小原から金五五〇〇万円を指示されたとき、税金はわずかであり、残りは、長谷部らへの謝礼と思っていたところ、圭司か領収書を見せられて、申告額が一千万円であることを知り、金七〇〇〇万円との差額を脱税していることがわかったと認定しているのである。
D.しかしながら、前述のごとく、共謀の認定時期については、昭子の検面調書を前提として、証拠評価を行っても、その共謀の認定はあまりにも乱暴なものと言わざるをえない。
又中川工務店問題に関しても、松本証言の評価を見ると明らかなごとく原審の検察官ですら、主張しなかった事まで根拠にして、きわめて非常識に松本証言を排斥している。しかも中川工務店の話を知っていたか否かが本件の架空債務の計上という脱税方法の認識の前提条件となっているにもかかわらず、右について単に「時期の取り違え」であり、それがあっても調書を信用できると明らかな誤解をしている。手書の協議書についても、原判決の判断では、厳密に言えば、昭子が何時、どのような状況で見て、架空債務の計上を知ったのか、あるいは小原から説明を受けて知ったのかについて、明確な認定を行わないまま、「なお、本件においては同協議書作成の前日あるいは当日に小原から渡され、その内容の説明を小原から被告人両名が受けるなどして記載内容を認識していたと認定することができれば十分であると考える。」ときわめて瞹昧な認定をしているにとどまる。
金五五〇〇万円の趣旨に関しては、長谷部等への謝礼については、金五五〇〇万円を五枚の小切手と現金にわける事を聞いて、一〇〇〇万円か二〇〇〇万円が税金で残りは長谷部等への手数料と思ったというがごとき、わけのわからないきわめて不自然な昭子の自供調書を信用できると判断し、しかも前述のごとく、実行行為終了後の昭子が領収証を見た事をもって、昭子が右金五五〇〇万円の全部が税金であったものと考えていたとは評価しきれないと、事後共犯論をまるで没却しているがごとき、論理展開をしている。しかも右事後共犯論を前提とすると、昭子には、本件共犯者の実行行為終了時までには、ほ脱の結果発生の認識はなかったと認定しうるにもかかわらずである。
E.以上簡単に問題点を指摘したが、少なくとも昭子について、本件ほ脱犯の共犯者としての責任を追及するのは証拠関係から見て、妥当でなく、しかも原判決の各証拠の評価、事実認定はあまりにも予断と偏見にみちたものである。
控訴審において、正常な証拠評価が行われることを切望する。
第三、原判決には明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがあるので、その破棄を求める。
一、原審は、「被告人両名について、被告人両名が相談の上、圭司を通じて、申告の依頼をすることにしたときに共謀が成立した」として、被告人両名について、共謀共同正犯を認定した。
二、しかしながら、すでに第二Ⅲで論じているごとく、右共謀の認定は共謀時期及び共謀内容について、共謀共同正犯における「共謀」の解釈を誤ったものであり、共犯に関する刑法第六〇条の法令の適用を誤ったものと言える。
第四、結論
以上論じてきたごとく、原判決について、訴訟手続の法令違反、事実誤認、法令の適用の誤り等が存するものであり、いずれにしても破棄をまぬがれない。